ブログタイトルの遠塵離垢(おんじんりく)について
このブログのタイトルである『遠塵離垢』とは仏教用語で、けがれから遠ざかり、煩悩から離れることを意味している。『遠塵離苦』という表記もあるようだ。『遠塵』とはけがれから遠ざかること、『離垢』とは煩悩から離れることを意味する。
僕はこのブログとは別に一年前から本腰を入れているブログを運営している。
そのブログは基本的に買い物中心のレビューブログで、ブログのネタのためとはいえ、この一年でかなりの買い物をしてしまった。
その甲斐あってレビュー数も何万PVもあるブログに成長し、アドセンス等の収益で買い物した分の金額を相殺もしくは上回るような成果があるかというと、これがまったくの無収入だ。
まったくもって数十万の大赤字で、ブログを始めたことによって少なかった蓄えは激減し、部屋中にモノが溢れかえっている状況になってしまっている。
購入した時には目的もあったし、手に入れた喜びもあった。
反面、ブログを維持するためにも、モノを手に入れ続ける必要もあった。
ブログの運営を始めてから1年が経ち、思うような結果の出なかった150記事以上あるブログと部屋を埋め尽くすモノ達に埋もれて、ある意味後悔のようなものが押し寄せては消えていく日常を過ごすうちに、『ミニマリスト』やら『断捨離』といった言葉が何度も頭をよぎった。
そうだ、片づけよう!
このモノで溢れかえった部屋を、もう少し大人らしい、いや、人間らしい状態に戻そう!
『ミニマリスト』を目指す必要はないが、今のこの”足の踏み場もない”状況をどうにか脱出しようと思ったのだ。
ただ、自分勝手にいらないモノを捨てるだけでは味気ない。せっかく新しいことを始めるのならば、せめてその記録を残そう。
『片づけ』や『ミニマリスト』、そして『断捨離』を謳うブログはWEB上に無数に存在する。今さらそんなブログを立ち上げたところでWEBの砂漠で誰かの目に留まることなどほとんど期待できないだろうし、ほとんど発見されることのないブログなんてなんの収益にもならないだろう。
なのでこうして、すべて無料で行えるbloggerを利用することにした。
『断捨離』という言葉は最近いろいろなところで商標権について議論がされているようなので、今さらこの言葉を使用したいとも思わない。
そこで探し出したのが『遠塵離垢』という言葉だった。
『けがれから遠ざかり、煩悩から離れる』
今の僕にはぴったりの言葉だと思った。
ブログで儲けてやろう、儲けた金でもっと欲しいものを買ってやろうなどと考え、サーバー代を払い、ブログのためレビューのためとどんどん買い物をし、いつしか部屋中にモノが溢れかえって、貯金は激減し収益はほとんどない。この1年はまさに煩悩の塊のような時間を過ごしていた。
僕の住まうこの部屋は、煩悩の坩堝と化していた。
とは言え、捨てたり手放したりは別の気力と体力が必要
こう言ってはなんだが、買ってくるのは得意でも、捨てる、処分するというのは買う行為ほど簡単ではない。買うという行為はとても簡単だ。
店に行って「これが欲しい」と言えば、店員がなんでもしてくれる。
陳列棚からレジまでも運んでくれるし、支払い後は車まで運んでくれる。
インターネットで買うならマウスを動かすだけでいい。あとは運送会社が自宅まで運んでくれる。
しかし捨てるとなるとそうはいかない。
小さなものでも分別が必要になるし、集積所まで運ぶのも自分んで行わなければならない。
集積所で回収してくれないものは自分で処分場まで運び込まなくてはならないし、さらに処分費用まで取られたりもする。
人に譲るのも気を使う。
買ったときは高かったものでも、知り合いからはそんなにお金を取れないし、人手に渡ってすぐに壊れたりしても気まずい。
中には買ってやったんだとばかりに、なにかある度に人をサポートセンターかサービスセンターのようにこき使う輩もいる。
色々と分かってる人に譲ったり売ったりする分にはいいのだが、物の使い方が分かってない人に関わるとその後の対人ストレスが半端ない。
そんなバランスを取りながらモノを処分していくのは、かなりの気力と体力を消耗する。
とはいえ、個人的にもう部屋が限界だと思うので、少しずつになるとは思うがモノを処分していきたいと思っている。
思い立って、このブログを立ち上げた事により、少しでも今の気持ちが長続きすることと、良き結果、良き未来が待っている事を期待したい。
本家ブログについて
本家ブログに関してはこれからも続けていくつもりだ。1年続けてみてまだまだ1円も振り込まれていないようなお粗末なブログではあるが、それはそれでまだまだ途中経過と思いたいので、あと2~3年は続けるつもり。
いつかこのブログが関わってくる事によって、素晴らしい相乗効果が生まれる事を期待している。
0 件のコメント:
コメントを投稿